ギムレットには早すぎる。

 法律家を目指したきっかけを聞いてみると結構な割合で,小さいころ推理小説が好きだったこと,という答えが返ってくる気がします。その中でも人気作家の双璧といえば,やはりコナンドイルと,アガサクリスティということになるかと思います。

 私は小さい頃は前者が好きでして、法律家を目指したいくつかの原因の一つになったようにも思います。その後、読書傾向が変わり10代後半から20代前半にかけては、推理小説はほとんど読まなくなったのですが、ふとしたきっかけで再度推理小説をよく読むようになりました。

 信頼できない語り手、読者が犯人、叙述トリック、アンチミステリーなど、世の中にはいろいろな種類の推理小説があるものだと思いますが、長じてから好きになり何度も読み返したのはチャンドラーのフィリップマーロウものでした。

 ハードボイルドな名言の数々や、本格ものとはまた違った筋立てにも感銘を受けたものですが、特に印象に残った理由は内容以外のことからでした。

 それは裁判官になりたての頃でした。まだ、裁判実務というものに慣れていなかった私は、連日かなり遅くまで仕事をすることが多かったのですが、そんなある日、集中力が続かなくなったので、隣の部屋を見ると同様に仕事をしている職員(書記官)がいました。私は、その職員に話しかけたのですが、その日は、時間帯のせいか、疲れて脳がしびれていたせいか、あるいは、その方が、いつも遅くまで働いている私をねぎらおうとしてくれたからか、ぽつぽつと、会話の内容は、職場の単なる同僚がするにはやや個人的な話題に話が及んだのでした。

 そんな中で、彼は、「今、『長いお別れ』を読んでいるんですよ。」とおっしゃったのですが、それを聞いて私は非常に驚きました。私もその時、同じ作品を読んでいたからです。もちろん、長く読み継がれた名作ではありますし、上述したように、推理小説に親和性の高い業界ではあるものの、当然新作というわけではありませんので、多少なりとも「縁」とか「運命」を感じさせるには十分な程度に珍しいことでした。その日だったか、日を改めたまでは覚えていませんが、二人で、オーセンティックなバーに行って、タイトルに書いてあるセリフやら、さよならを言うのは少し死ぬことだ、などと言いながら、ギムレットだか、何かのスコッチだかを飲んで悦に入ったのでした。

 その後、意気投合した我々は、二人で釣りに行ったり、登山に行ったり、八丈島に行ったりしましたし、彼は私が赴任した松山や石垣島にも遊びにきてくれたりとと、裁判所時代のプライベートの時間の多くを共有することとなりました。ご存じの方も多いとは思いますが、長いお別れの主題は男の友情ですので、上述した出来事は自分の人生の中では割と出来過ぎかつ、友人を得たという意味で生産的なエピソードではありますが、優れた本というものには、時にそういう力を持つものであり、その意味でも、長いお別れという作品は、優れた作品なのだと思いますし、私の中では個人的に印象深い本という地位を長く保ち続けているのです。

 なお、私が読んだ清水俊二の翻訳はやや古くて、少し引っかかることもあったのですが、後に出た村上春樹の新訳は読みやすくなったようです。内容的には、人種差別的な描写もあったり、時代を感じるところもありますが、それでも作品の魅力はそれによって損なわれてはいないことを、今月再確認しましたので、よろしければ皆様もぜひ読んでみてください。

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