人生を救ってくれたことば

 以前にも書きましたが、司法試験に合格する前学習塾でアルバイトをしていたことがあります。当時は試験が5月の第二日曜日(すなわち、母の日と同日です。当時はなかなか皮肉な日にあるものだと思っていました。)にあったので、4月には、同僚に飲み会やマージャンに誘わないでほしいと言って、勉強に励んでいたのですが、ちょうど今頃、多分歓迎会か何かがあり、同僚の一人が、みんなで飲みに行くから一緒に行こう、と強く言うので、内心若干のあせりを感じつつも、世話になっていた人だったので断れずに参加することにしました。

 その時は、バイト仲間の中ではシニア層のその人と僕とで差し向いでいろいろなことを話しながら飲んでいました。ともあれ、そんな精神状態で飲んだからか、世話になっていた人なので甘えが出たのか、1時間くらい飲んで、若干酔っ払った頃に、

「今年、試験に落ちたらもう死にたいっす。」

ということばが、口をついて出てしまいました。自分でも、本気ではない、ということはわかっていましたが、それでもそういうことを言ってしまうくらい追い詰められた気持ちなんだ、という風に思ったことを覚えています。しかし、僕がそれをよく覚えているのは、それを聞いたその方が、日本酒を飲みながらボソッといったことをよく覚えているからです。

「岡本さんは、マゾですね。」

 それを聞いた刹那、僕はちょっとムッとしました。こっちは大変なんだよ、と思ったのです。でも次の瞬間に気が付きました。あまりこういう場所では書けないのですが、その方は,僕と違って好き好んでそうなったというわけでもない事情で進路の選択についてご大変苦労されていたのです。

 それに比べたら、僕は自分で好き好んで司法試験を受け始めただけです。両親も後押ししてくれていましたし,5年も10年も受験生活を続けていたわけでもありません。そんなことで、死ぬだの、なんだのと言ってしまったことに,器の小ささを思い知りました。顔が赤くなったのはあるいは酔いのせいだけではなかった気がします。そのときは,その話が続くこともなかったのですが,帰宅した後も妙に耳に残り,体に染み渡って、肩の力が抜けたような気がしたのでした。

 やれるだけやるしかないじゃないし,それでよいじゃないか,と。

 出来過ぎた話ではないかと思われるかもしれませんが、確かその年に無事司法試験に合格することができたのでした。

 実務に出た後も,色々と苦しく思うことはありました。そんな時にも,上記の言葉を思い出して乗り切ってきました。苦境にある時に,どのような心構えであるべきか,というのは一律に答えが出る問題ではないと思います。自分を追い込んだ方が力が出るという方もいらっしゃるとおもいます。けれど少なくとも僕の場合,自分で自分を追い込みすぎないようにする,というのは長期間安定したパフォーマンスを出すうえでは大事な教訓ではないかと思っています。

 もうちょっと,人に説明しやすい言葉で救われたかったと思わなくはないですが,上記の言葉は言われて20年ほどが経った今でも印象に残るものとして記憶しています。なお,その言葉をおっしゃった方に聞くと,そんなことを言ったことは全然覚えていないとのことです。どんな言葉がどういう風に人に影響するかわからないということも,いわば,言葉や文章を商売道具としている法律家にとっても大事な教訓かもしれません。

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