光陰矢の如し
光陰矢の如しというのは、どういう言葉かといいますと、光陰というものは、ああ、矢の如しだなあ、という意味なんです。
というのは、古今亭志ん朝が何度か使ったマクラで、すごく好きなので書いてみたのですが、文字にしてみても面白くもなんともありませんね。でも、志ん朝がいうと、とても味があって面白いので是非聞いてみていただければと思います。
おそらく年齢を重ねるとともに時間の経過に対する感覚が違ってくるというのはどなたにも起こることかと思いますが、私も、数年前のことを「この間」などということはざらになりました。
また、9月になると、アメリカで、フットボールのプロリーグが開幕するのですが、おおむね1週間に一度行われる試合(アメリカンフットボールはコンタクトスポーツということもあり、試合数がとても少ないのです。)を楽しみにしているうちに、2,3か月が経っているなどということも珍しくありません。そして、シーズンが終わると、次のシーズンを楽しみに、次のシーズンが始まると、ゲームを楽しみにしているうちに、いつのまにか、そのシーズンも終わって、などとやっているうちに、あっという間に数年が経っていたりします。
それはさておき、ふと気が付くと、いつの間にか、事務所を開設して1年が経っていることに気が付きました。
コロナ下での事務所開設でしたので、色々と大変なこともあるだろうとは思っておりましたが、おかげさまで、パートナーを迎えたり、弁護士会で役職をいただいたり、そして何より、思った以上に多くの方のご相談に対応させていただいているうちに、気が付けば、時間が経過していたという感じでした。
まさに、光陰というものは、ああ、矢の如しだなあ、と思います。
などといっているうちに、私もすぐに死んでしまうのでしょうが、それまでは一所懸命頑張りたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。