頼る勇気

 先日、家を引っ越しました。裁判官時代は高頻度で引っ越しを繰り返していたせいか、弁護士になって以来4年間同じところに住んで飽きてしまったために実行したのですが、ちょうど仕事が忙しいときと重なってしまって非常に大変な思いをしました。

 ようやく、引っ越し先での家具の設置や整理も終わりかけていたのですが、先日、最後に残った家具を組み立てようとしたところ、どうにもうまくいきませんでした。よく見ると、いかにも小さな部品がなくなっているような場所を発見すると同時に、直感的に、そういえば、ここにはまっていたであろう部品を、どこのものかわからず引っ越しの際の整理に伴って捨てたような記憶が鮮明によみがえってきました。

 その家具の設置が終われば、引っ越し作業も終わりというところだったので、イライラしつつも、「多分、探せば部品だけ買えるだろう」と考え、まずはその家具を買った通販サイトで購入履歴を探しました。しばらく前に購入したものだったので、少し手間取りましたが、購入履歴を発見し、そこから型番を見つけ、部品購入を試みたものの、残念ながらサイトにはその部品が見当たりませんでした。

 わずかな部品の欠損一つで、同じものを買うのもばかばかしいですし、実際、その通販サイトでみてみると、私が購入した時よりも(ブラックフライデーのセールの対象となっていたのに)30パーセントほど値上がりしていて、インフレの怖さも痛感したので、あれやこれやとネットを検索していると、公開されている取り扱い説明書があり、そこに、お客様相談室の連絡先が記載されていました。そこに電話をかけて事情を説明して、その部品だけ購入したい旨告げると、オペレーターの方は、「単体ではその部品は販売していないのですが、在庫があるので送料をご負担いただければお送りできます」との返答を得ることができました。常にそのような対応をしてもらえるのかはわかりませんが、環境にもお財布にも優しい解決策を提案してもらい、うれしく思いました。

 このように、困ったときに正しい手順で他人に助けを求めると、想像以上に望外の結果が得られることがあります。なお、このことは、法律の世界でも同じことでして、私自身、裁判官時代、どうにも事件の内容が理解できずに困っていたり、弁護士として、依頼者の利益を最大化する方法を模索して悩んでいるときには、書籍や条文を調べたりすることはもちろん基本ではあるものの、それでもうまくいかないときには、どこかに、自分にはない事情や制度等に通じている人はいないだろうか、と考えて、思い当たる人に尋ねてみると意外に突破口が見いだせたりしたものです。もちろん、聞く前には、こんなことを聞いたら馬鹿だと思われはしないだろうか、などという思いもありましたし、ときには、おそらく本当に馬鹿なことを聞いていると思われたと感じたこともなくはないですが、私の場合は、年齢を重ねるとともに、自分の疑問が馬鹿なことだということが分かっただけでも収穫だと思えるようになりました。年齢を重ねて図々しくなっただけかもしれませんが、私としては、「聞くは一時の恥」の重要性の認識が深まったのではないかと思っています。

 なお、一人であれこれと悩んでいても、物事が解決しない(ばかりか、かえって事態が悪化することがある)、ということは、ご相談者とお話をしていてもしばしば感じるところです。是非「頼る勇気」を持って、何かあれば、できるだけ早く弁護士にご相談いただければと思います。

 などとポジショントークだか営業トークだかわからないことを書いてしまうところをみると、やはり私も年齢を重ねて図々しくなったことは否定できないところかもしれません。

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