If today were the last day of my life

 この年齢になれば、しばらく連絡を取らない相手方に対して、どうしているのかな、と思いつつも、これまで住所が変わったり、仕事を変えたりしたのにそれを知らせてもいないのに、今更連絡を取るとどう思われるだろう、などと考えてしまい、連絡を取る勇気が出ない、などということもしばしばあります。特に、私は海外を含め、所在を転々と変えており、また職業も変えましたので、不義理をしてしまっていて、敷居が高くなってしまっている方が何人かいて、何かの拍子に携帯電話の電話帳などを見ると、もやもやとした気持ちになることもあります。

 しかし、当ブログでも何度か触れましたように、このウェブサイトを通じて、数年ぶり、10数年ぶりに私に連絡を取ってくれた古い知人なども数名おられまして、少なくとも私は非常に嬉しかったですし、久しぶりに連絡をとってネガティブな受け取り方をするのではないか、と心配すること自体、そうした方々に失礼であるような気もします。

 今日が人生最後の日だと思って行動すべきである、という言説に無留保で賛意を示すことはなかなかできませんが、それでも、自分の人生に具体的な終期が見えたらやりたくなることや会いたくなる人はいますので(あるいは、そのようなことを考える時間が与えられること自体ある意味で幸運なことであって、自分にそのような幸運が訪れるとも限りませんので)、思い切って裁判官を辞めたときの気持ちを思い出して、あるいは、私のような不愛想な人間に数年ぶりに連絡を取ろうとされた何人かの方々の勇気を見習って行動したいと思います。

 なお、(ここ数年で何度目かに)そのように思いましたのは、先日、知り合って20年以上となる知人に数年ぶりに会う機会があり、(少なくとも私は)楽しい時間になったからでありまして、何も、この3連休でブレイキングバッドを見返してはまりなおしたからではないことを申し添えます。

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