痛みと文化:「No Pain, No Gain」の日本的解釈
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「No pain, no gain(痛みなくして得るものなし)」という言葉は、特にスポーツやビジネスなどでよく引用されるフレーズです。この言葉が持つ意味は、大抵の場合「成功や達成には努力や犠牲が不可欠だ」というシンプルなものです。しかし、このフレーズが持つ意味は、文化や経験によって大きく変わることがあります。
特に日本文化においては、このフレーズが持つ「痛み」は、しばしば目的自体になってしまう場合があります。日本の多くの分野で、苦労や痛みは美徳とされ、それ自体が評価されることがよくあります。例えば、長時間労働がよく頑張った証とされる場合、実際には効率が悪くても痛みを耐えることが評価されがちです。また、体調が悪いにもかかわらず無理して出勤する「仮病を使わない」文化なども、このような傾向の一例です。
更に、日本文化では「痛みを訴えること」自体がしばしば恥ずかしいとされています。ある程度の痛みは耐えるべきだという風潮があり、そのために不必要な痛みに耐え続けるケースも少なくありません。このような文化的背景が、医療においても影響を与えていることは明らかです。私自身、子供時代に脱臼の治療を受けたことがあるのですが、その際に痛みを訴えたところ、医師から「痛いはずがない」と言われたため、必死に痛みを我慢しました。しかし、実際には、後に骨折もしていてたと分かり、上記治療にあたった医師自身、自分が「痛いはずがない」といったことを覚えていたのかいないのか、「よく我慢したね。」といわれたという経験がありますが、このことは、まさに典型です。
しかし、痛みを耐えることが必ずしも正しいわけではありません。痛みは、身体からの「何かがおかしい」というサインです。無視することで、症状が悪化する可能性もあります。医療の進歺によって、今では笑気ガスなど痛みを和らげる手段も多く存在します。これらを利用することは、痛みを無駄に耐えるよりもはるかに合理的です。
歯科治療での笑気ガス使用は、その良い例でしょう。痛みを和らげることで、治療がスムーズに進むだけでなく、治療後のストレスや恐怖感も軽減します。これは「痛みを避ける合理的な努力」であり、何ら恥ずかしいことではありません。痛みを無駄に耐えるよりも、痛みを最小限に抑える手段を選ぶ方が賢明です。
このような考え方は、ビジネスやスポーツ、さらには日常生活にも応用可能です。効率を考え、不必要な痛みや苦労を避ける方法を選ぶことは、目的達成においても重要な要素となります。痛みを耐える文化が賞賛される場面もあるかもしれませんが、それが目的になってしまっては元も子もありません。
日本の「痛みを耐える」文化には一定の美徳もあるでしょう。しかし、その美徳が「痛み自体を目的にする」方向に進んでしまうと、本来の「No pain, no gain」の意味からは遠ざかってしまいます。痛みは手段の一つであり、それを目的にするのは非効率的であり、時に危険です。必要な痛みと不必要な痛みを見極め、その上で最も効果的な手段を選ぶ柔軟性が求められます。それこそが、真の「No pain, no gain」の精神とも言えるでしょう。
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先日、歯科検診を受けたところ、虫歯が発見されました。小さいので経過観察でもよいがどうしますかと聞かれたので、私は、治療をお願いした上で、笑気ガスの使用もお願いしました。上述の、脱臼と骨折の一件があった上、歯科治療で用いる麻酔が利きにくいタイプだと医師から言われたことがあって麻酔を伴う歯科治療に恐怖心があったのでそうしたのですが、何となく、図体が大きい割に気が小さい、と思われたような気がしたので、帰宅後、自身の行為を正当化しようと、チャットGPT4.0に、概要「『No pain, no gain』という言葉はあるものの、痛み自体を目的化するのは日本人の悪癖であり、笑気ガスを使用することは恥ずかしいことではない」という題材でエッセイを書かせたところ、出力されたのが上記の文章です。
そのまま転記しましたので、よく読むとよくわからない漢字があったり、文法に若干の違和感があったりはしますが、それでも数十秒で生成されたとは思えない出来であるように思います。弁護士業界でも本格的に書面の下書きや、契約書のチェックの下ごしらえなどの補助的な役割を担えるのではないかと期待されていたり、あるいは逆に、弁護士が不要になってしまうのではないかという危機感を抱かれていたりするのも分かるような気がして、いずれにしても、笑気ガスを使うか否かなど、取るに足らない小さなことだという心境に至りました。
また、上記のように歯科治療自体は本当に苦手で、やらずに済むならそれが一番良いことは間違いなく、決してそれが目的というわけではありませんが、胃カメラの鎮静剤を利用して以来若干この手の薬品の効果には興味があるので、せめてそれを楽しみに、また、笑気ガスを使用することは、「『痛みを避ける合理的な努力』であり、何ら恥ずかしいことでは」ないという名言を胸に、治療に臨みたいと思います。