民事裁判と和解(第1回)
1 はじめに
あるいは、弁護士というものは一般にそうなのかもしれませんし、私が元裁判官という経歴を有することもあってか、殊更に多いのかもしれませんが、裁判官から和解を勧められたがどうすればよいか、というような質問を受けることがしばしばあります。
なお、何の不満もないのであれば、基本的にはご相談されたいと思われないでしょうから(ただし、和解条項は意外にテクニカルな場合がありますから、後述しますように、弁護士に相談してほしいと思うことはしばしばあります。)、これについて尋ねられる際というのは、多かれ少なかれ、提案された和解内容に満足できない部分があり、断りたい、という気持ちがゼロではないのだと思いますが、それを前提とすると、質問をされる方は、一般的な和解のメリット、デメリットは何かという点に加えて、次の二つの点が気になっている方が多いのではないかと思います。
1点目は、裁判官は、自分の心証に従って和解を勧めているのか、という点です。
すなわち、例えば、裁判官が自分に不利な内容の和解を勧められた場合、裁判官の和解の勧めが、既に自分に不利になっている心証に基づいていて、それが変わらないのであれば、和解を断っても、結局判決で負けてしまうのであれば、和解を受け入れる方に傾くでしょう。
他方で、和解の勧めと裁判官の心証がそれほど関係していないのであれば、自分に不利な内容の和解を勧められたからといって、必ずしもそれを受け入れるのが合理的ということにはならないように思います。
2点目は、裁判官の和解の勧めを断った場合、裁判官の印象が悪くならないのか、という点も気にされている方が多いように思います。
すなわち、仮に自分の想定しているラインに届かない内容の和解を提案されたとして、それを断ると、裁判官の印象が悪くなって(シンプルな言い方をすれば裁判官が怒って)、判決内容が不利にならないのか、ということを気にされている方も一定数おられるように思います。
以上の点を説明する前に、前提として、一般的な和解のメリット、デメリット、あるいは、一般的にどのようなタイミングで裁判官が和解を勧めることが多いか、という点も先にご説明したいたお思います。その上で上記の2点については、項を改めてご説明したいと思います。なお、メリット、デメリットというのはどちらから見るかによって裏腹、という部分もありますので、まとめてポイントという形でご説明したいと思います。
2 一般的な和解のポイント
1点目は、和解をすれば、裁判が基本的には直ちに終わるということがあります。
裁判所は、訴訟の平均審理期間を非常に気にしており、少しでもこれを短縮しようと努めていますが、それでも、当事者間にそれなりに争いのある訴訟であれば、一審だけでもどうしても1年程度はかかりますし、込み入った内容であれば、それを超えるということも珍しくなく、控訴、上告まで含めれば、何だかんだと、数年かかることはざらです。さらに、社会的に一個の紛争であっても、一回の訴訟だけで解決にならず、いくつかの訴訟を経ることもあります。そうなると金銭的なコストも相当なものになる場合もありますし、訴訟が継続していることによるストレス、(場合によっては)信用の低下、といった非金銭的なコストも含めると、莫大になる場合があります。弁護士がいうのもおかしな話かもしれませんが、訴訟ほどコストに見合わないものはない、ということもできるかもしれないほどです。それが、和解をすれば、それ以降の審理はなくなりますし、和解後に控訴や上告がされることもない訳ですから、和解による訴訟継続コストのカットというメリットはときとしてとても大きくなります。
なお、訴訟継続コストのカットという意味では和解ができるのが訴訟の序盤であればあるほど、その効果は大きいわけですが、事前交渉がされるような事件であれば、話し合いができないからこそ訴訟になっているということもありますし、序盤は当事者の方もまだやる気十分ということもありますので、和解が難しい場合が多いでしょう。しかし、訴訟継続によるストレスというのは非常に大きい場合もあり、時間が経過すると、多少譲歩してもよいから和解をしたい、ということさえあったりしますし、その際に、最初に和解を勧められたときに受け入れておけばよかったというようなことを思われる場合もあるようです。早期に解決、ということと、訴訟になった以上は色々といいたいことがあるという気持ちの兼ね合いを付けるのは、なかなか難しいところです。
また、上記のメリットの裏返しになりますが、一度和解をすれば、判決と異なり、後から不服をいうということはできません(厳密にいえば、和解が無効であるなどと主張することは不可能ではありません。ただし、和解が無効になるのは極めて限定的な場合であり、少なくとも、考え直したら損だと思った、とか、そういった理由で和解が無効になるということはありませんので、和解をする場合には、しっかりと納得してすることが重要です。)。
2点目は、1点目と関係しますが、判決という不確実性を排除することができる、という点です。
私自身も裁判官と弁護士の両方の立場を経験した立場として理解できないではないのですが、やはり、利害関係を有していて、かつ、事件を直接体験している当事者からの事件の見え方と、利害関係もなく、また、基本的に準備書面や書証からしか事件をみることができない裁判官の事件の見え方とは、思いがけないくらい違うことがあり、良くも悪くも思わぬ判決を受けるということはありますが、和解をすればそのような可能性はなくなります。
3点目は、判決と比して柔軟な解決が可能、という点です。
判決は、事案にもよりますが、基本的には黒白がはっきりつきます。他方で、判決は、法律上の要件がそろえば、それに基づいた判決がでますので、ある意味で硬直的です。たとえば、金銭の支払を命じる判決であれば、債務者の支払能力などは基本的にはかんけいがありません。これに対し、和解であれば、当事者間で合意がされれば、支払条件について、分割支払にしたり、担保を供したり、といったことも可能になります。また、和解に際しては、金銭的な条件ではない条項が盛りこまれることがあります。たとえば、一方が他方に対し、謝罪の意を表明する、といったことがされることがあります。こういったことも基本的に判決では得られない成果といえるでしょう。あるいは、当事者間の紛争は、ときとして、一つの訴訟にとどまらないわけですが、当事者間で合意ができるのであれば和解により紛争の一挙的な解決が可能になります。したがって、うまく条件を合意できれば、まさにいわゆる「ウィンウィン」な解決ができることもあります。
この点に関して、よく用いられるたとえに、オレンジをめぐる姉妹の紛争というものがあります。これは、姉妹がどちらもオレンジが欲しいといって譲らない、という紛争なのですが、話をよくよく聞いてみると、一方は、マーマレードを作るのに皮が欲しい、他方は、中身が食べたいというので、一方に皮を、他方に中身を与えて解決する、というものです。もちろん、常にこんな風にうまくいくわけではありませんが、それでも、上記のような解決ができないかと知恵を絞るのは、裁判官にとっても、弁護士にとっても、法律家としての腕の見せ所ということができるかもしれません。
なお、柔軟な解決が可能ということは逆にいえば、和解後にどのようなことが起こり得るかということをしっかりと想像し、それに備える(あるいは、リスクを甘受する)必要があるということになります。1点目の注意点と重複する部分がありますが、和解後に、こんなつもりではなかったといっても後の祭り、ということも多くあります。
4点目は、判決と比して、履行の可能性が高いといわれることがあります。
この点は実証されているのか不勉強にして存じ上げないのですが、和解の場合は、上記のとおり、支払条件等が交渉できるせいか、自分で納得して和解しているからか、判決と比してきちんと履行されることが多いといわれます。この点に関し、一般の方が見過ごしがちなのが、判決が出たからといって、相手が任意で履行するとは限らないし、支払おうとしない、あるいは、支払う能力のない相手から支払をさせる(すなわち、強制執行をする)というのは、思った以上に難しく、場合によっては、泣き寝入りさせられることも多いということです。そのようなことからいえば、この点は、支払いを受ける側(基本的に原告)としては、大きなメリットといえるでしょう。
なお、支払の意思や能力のない人に支払をさせるのは大変であると申しましたが、判決を無視してしまうと、破産などをしなければ、いつまでも強制執行をおそれていなければならないというデメリットもあります(なお、支払うべき債権の内容によっては、そもそも破産によっても責任を免れないこともありあます。)。そのような意味でいうと、和解をして、きちんと債務を支払いきることができれば、破産を回避したり、強制執行を恐れなくてよくなるというような意味で、支払をする側(基本的に被告)にとってもメリットがあるという風に言えるかもしれません。
5点目は、判決と比して、良くも悪くも物事がはっきりしない、ということがあります。
紛争の内容にもよりますが、判決が出されれれば、どちらが悪かったのか、ということが明確になります(少なくとも国家によってそのような判断がされたという形が残る)。そうすると場合によっては、そのことによって、悪いとされた側は、たとえば、信用面のダメージを受けるといった場合もあるでしょう。一方当事者あるいは双方がそれを恐れて和解がされるという場合もあります。
3 今回のまとめ
細かく言い出せば、和解のポイントはこれ以外にもあると思いますが、とりあえず、私がパッと思いつくところは以上でしょうか。いずれにしましても、和解は、うまく使えば、判決にはない妙味が得られます。他方で、上記のとおり、条件が柔軟に設定できるからこそ、思わぬリスクが潜んでいないとも限りません。その意味で、判決と比較した場合の具体的なメリットはなにか、和解によって思わぬ不利益を被らないか、といった検討は極めて大事ですので、きちんと弁護士に相談することもご検討ください。
なお、私自身、裁判官時代は、民事裁判を多く担当してきたこともあり、法律面の勉強や訴訟指揮と並んで、双方にとってメリットのある和解(マーマレード的和解)ができないか、どうやって当事者に納得してもらえるかということを、自分なりに勉強していたことを覚えています。あるいは、やや言い過ぎになるかもしれないことをおそれずに言えば、刑事裁判にはない、「訴訟上の和解」というものがまさに民事裁判の醍醐味であり、いかに良い和解を考え、それを納得してもらえるかというのが民事裁判官の腕の見せ所であるとさえ思っていました。
などと自分に都合の良いことも申し上げましたが、裁判官からの和解の勧めについて、記録の検討も十分せずに足して二で割る話をするだけ、敗訴をにおわせて譲歩を強要する、理由の説明がなく(あるいは不十分で)納得できない、といったような批判が存在していることも承知しております。そういう身では、私が、元裁判官として上記のように、民事裁判では和解が醍醐味だと考えているとか、いかに当事者に納得してもらえるかを考えているなどと書けば、まさにそのようなスタンスこそが、裁判官による和解の「ごり押し」につながっている証左であるという批判もあり得るようにも思います。もちろん、自分なりに誠実にやってきたという自負はありますが、裁判官が和解を「ごり押し」しようとしていると感じる方が一定数いるからこそ、冒頭のような疑問がされるのではないかとも思います。そこで次回はこの点までご説明をしたいと思います。