裁判官の「心証」形成について(第2回)
1 訴訟の序盤、中盤、終盤について
近時色々と立法の動きもありますが、基本的には訴訟にかかる時間はケースバイケースです。被告側に原告の請求を争う姿勢のない訴訟であれば、1回で終わってしまうものもありますし、数としては少ないですが、事案が複雑であったりすると、今でも第1審だけで、年単位の期間がかかる訴訟というものもないではありません。また、そもそも、訴訟の序盤、中盤、終盤が定義されているわけではありませんので、いつからいつまでを「序盤」とするのか、「序盤」がどれくらいかかるのか、ということもいえません。しかし、ここでは、便宜上、双方の主張の大枠が出そろうまでの段階を序盤、それらを踏まえて、適宜反論や追加の立証が行われ、主張が深化し、場合によっては整理、修正されていく段階を中盤、尋問をするかしないか、するとして、だれを尋問するかを決め、実際に尋問を実施する段階を終盤というものとして、説明を進めたいと思います。
2 上記のように分ける理由について
上記のように分けるのは、各段階において、裁判官の知りたいことが質的に異なる場合が多いからです。すなわち、「序盤」については、裁判官としては、そもそも、当事者間にどこに争いがあるのか、あるいは、ないのかも分かっていません。事案に争いがないのであれば、裁判官としては、それを前提に和解なり、判決なりで早期に決着をつけることとなります。他方で、争いがあるのであれば、どこに争いがあるのか、を確認し、審理を進めるに際して、どこにフォーカスをすればよいかが分かるようになります。
そのため、裁判官は、そのようなスクリーニングを目的として訴訟を進行させようとする傾向があります。具体的に言えば、裁判官は、①当事者の主張の趣旨が最低限、法的に意味が通るものであるかどうか、を確認し、あるいは、②法的に意味があるとしても、その趣旨に不明瞭な部分があると考えた場合にその趣旨を確認するといったような受け身の訴訟指揮になることが多いように思います。そもそも、法的に意味のない主張であれば、その点について審理を深掘りする必要はないですし、趣旨が明らかになれば、相手方が、それを争うのか、争うとして、どこを争うのか、という主張がしやすくなり、その結果、先述のスクリーニングが可能となるからです。
このようなスクリーニングを経て、裁判官は、「争点」と呼ばれる審理のポイントを把握し、そこについて議論を深掘りさせていくこととなります。この点について説明するのは次回以降としますが、中盤以降では、裁判官は上記作業において把握した事案の全体像を踏まえて必要に応じて訴訟指揮はより積極的になることがあります。
3 訴訟の序盤における「心証」形成について
このように考えると、裁判官は、基本的にいわば交通整理をするのが序盤ということになります。そういう意味では、裁判官はこの段階では確定的な、あるいは確度の高い心証を抱くことはできないし、しないといってよいでしょう。とはいえ、裁判官として、何らの心証も抱くことはないかというと必ずしもそういうわけではないと思います。例えば、裁判官が最初に事件を知る契機となるのは訴状ということになりますが、その段階でも、書いてある内容によっては、被告が争いそうなポイント、争うのは難しいというポイント、あるいは逆に争われた場合、原告としては反論が難しいのではないかというポイントというのはある程度想像がついたりします。
例えば、原告が被告にお金を貸したので返してほしい、という訴訟においては、消費貸借契約書に、被告の実印が押してある、ということになれば、お金を貸したということは、争うのは通常難しいだろうと考えられます。そして、それでも訴訟になっているのは、単純に被告に返済原資がないからなのか、(貸付が非常に古い場合などは)消滅時効の抗弁が出てくるのだろうか、あるいは、原告と被告が親族という場合は、実印を無断で使用されたという風な主張をするのだろうか、と考えられます。逆に消費貸借契約書、借用書など、金銭の貸付を示す書証がなかったりすると、貸付けの事実の有無が争点になる可能性を考えられます。
他にも例えば、不貞に基づく損害賠償請求につき、不貞の証拠として、例えば、興信所による調査でいわうるラブホテルに出入りしている写真があるといったことになれば、不貞の事実は争いにくいだろうと考えます。そこで、婚姻関係が破綻しているという主張でもするのだろうか、という風に考えられたりしますが、通常、婚姻関係が破綻しているという主張は、客観的な裏付けに乏しいことも多いので、被告としては苦しいかもしれないと考えたりします。逆に、不貞の証拠が、なかったり、やや不確実な証拠(例えば、ある程度親密な関係をうかがわせるメールのやりとりやLINEの履歴などはあるが、肉体関係があるかどうかまでははっきり読み取れないもの)であったりすると、不貞の事実自体を争う可能性を原告はここをどう考えているのだろうと思ったりします。
また、全体的な話の流れとして、筋が通っているかどうかということも暫定的な心証形成に影響を与えます。個人間で、数十万円を貸したという主張と、例えば、数千万円もの金銭を貸し付けた、というような主張を比較すれば、前者の方が、ありそうな話だ、と考えるのは自然ではないかと思います。
その上で、被告からの認否反論や関連する書証が出ると、実際に争点が分かりますが、その際には、現段階ではどちらの主張が通りそうか、ということを念頭に置きながら、事案を把握していきます。
例えば、貸金返還請求において、契約書があるが、印鑑を無断使用されたというような主張が出れば、そういうこともありそうな背景があるのか(例えば、原告と被告とが親族で同居していたりする場合には、そうでない場合に比べれば無断使用の可能性は高いと考えるのが自然でしょう。)、証拠関係に照らして、どちらの主張がとおりそうか、ということを考えたりします。
もちろん、双方ともに最初から網羅的に主張を開示するとは限らないですし、事実は小説より奇なり、という言葉があるように、事実としてあり得なさそうな主張がが証拠関係に照らして認められるということがないではありません。そういう意味でこの段階での裁判官の心証はあくまで、仮定的、暫定的なものではあるものの、ポーカーフェイスの裏側で裁判官はそのようなことを考えていることは十分あることであり、そして、その後のことを考えれば、暫定的であっても自分の方の主張が全体としてありそうな話だと思ってもらった方が得であることは間違いありません。
そういう意味では、序盤でポイントを得るためには、裁判官に、全体として自分の主張の方が、自然である、ありそうな話である、と思われるということにあるといえるでしょう。そして、裁判官は良くも悪くも事案を直接知っているわけではないということもポイントです。そのような事案を知らない第三者である裁判官にも、自然な流れで、各事実が起こっていると思わせためには、必要な限度で背景事情を主張した方が良い場合もあるでしょうし、自然な流れとはいいがたいと思われそうな部分ではそれを裏付ける的確な証拠などを提出することも検討する必要があるでしょう。他方、序盤から先に詳しい主張をしたり、証拠を提出すれば、相手に反論や言い訳をする機会を与えることにもなります。また、あまりに詳細に背景事情を説明しようとすると、かえってポイントがぼけてしまうということもあり得ます。
裁判官時代には、「準備書面は一読して理解できるものが良い書面である」などと先輩から聞くことがよくありました。一読して理解しやすい書面であるためには、やはり、物事の流れが自然であること、記載内容が過度に淡泊であったり、詳細すぎないということが重要かと思います。もちろん、事案ごとの判断ということにはなりますが、このような言葉からも分かるように、概していえば、あまりに主張は証拠の先出しを恐れるよりは、ある程度自分の主張が全体的に自然であるということを印象付ける方が裁判官に対する印象はよいのではないかと思われるところです。
今回はここまでとしたいと思います。次回は訴訟の中盤における裁判官の心証形成についてご説明したいと思います。